【短編小説】白亜の手紙

ドラマ

標高二千メートルを超える山奥、霧が谷を包む中、若手古生物学者の楓はスコップを握りしめていた。

「ここで白亜紀の層が見つかるなんて……」

大学の調査チームの一員として、楓は恐竜時代の地層を調べていた。数日前の豪雨によって露出した地層には、異常なまでに保存状態の良い化石がいくつも見つかっていた。

その日、彼女が岩を割った瞬間——空気が一変した。

露出した化石の表面に、五本の指をもつ“手形”のような痕跡があったのだ。

まるで、人間がそこに手を押し当てたかのように。

「……まさか」

楓は心臓を押さえた。白亜紀とは、約一億年前の地球の時代。そこに“人の痕跡”など、あるはずがなかった。

「捏造じゃないのか」

数日後、上層部の教授たちは口を揃えて言った。

「誰かが化石を傷つけた」「悪戯にしては悪質すぎる」——そんな声の中で、楓は黙っていた。

それでも、どうしても信じられなかった。

あれは、地表と同じ色に風化し、岩石と一体化していた。人為的に付けた跡などではない。直感がそう訴えていた。

楓は、ひとり調査を続けた。夜通し資料を漁り、各地の古代地層の記録を読み漁った。

そして、ひとつの論文にたどり着いた。

「接触型痕跡化石——高圧下において、柔らかい有機体の“姿勢”がそのまま岩に記録された現象」

通常は爪跡や踏み跡だが、まれに“器用な動物”の行動痕が残ることがあるという。

楓はさらに、痕跡を精密に3Dスキャンし、解析を重ねた。

指の長さ、関節の位置——それは類人猿にも恐竜にも一致しなかった。

「……ヒトとほぼ同一の比率……」

絶句する中、楓の中にひとつの仮説が芽生えた。

もしかして、それは“何か”のメッセージなのではないか。

記録でもなく、偶然でもなく——過去から未来へ、何かを託そうとした意志。

ある晩、発掘現場で独り残った楓は、焚き火のそばで化石を撫でながら、ぽつりとつぶやいた。

「あなたは、ここにいたの?」

返事はなかった。

だが風の中で、木々がさやさやと鳴った。まるで、何かを語ろうとしているように。

そのとき、化石の奥の層が崩れ、中からさらなる痕跡が現れた。

それは、風化した石板のような平面に描かれた、螺旋と星のような模様だった。

言語とは違うが、意味のある「印」——それは“想い”としか言いようのない何かだった。

後日、楓はその記録を論文として提出した。

「地質年代における意志の痕跡——白亜層における接触型メッセージの可能性について」

結果、論文は否定された。

学会では「空想に過ぎない」「証拠不十分」と切り捨てられた。

それでも楓は、現場に残った。

ある朝、山の稜線から陽が差し込むなか、彼女は静かに言った。

「私は信じる。あれは、白亜の時代を生きた“何か”からの手紙だって」

誰かが歩いたこの大地。誰かが夢見たこの空。

それは、数億年の時を越えて、いま確かに彼女の心を揺らしていた。

石に刻まれた“意志”は、きっと誰かに届く。

たとえ世界に否定されようとも、その想いだけは——彼女の中に、静かに生き続けていた。

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