午後二時になると、真理のアラームが鳴る。
「そろそろ、横になろうかな」
在宅勤務になって三か月。毎日続くオンライン会議と、終わらぬ業務の山。慣れないデスクワークに肩は凝り、目はしょぼしょぼ。そんな彼女のささやかな日課が、午後の三十分だけ取る“お昼寝タイム”だった。
リビングのソファに薄い毛布をかけて、スマホを伏せて置く。カーテンの隙間から差し込む陽の光が、静かに部屋を照らしている。
「おやすみ、世界」
そう小さく呟いて、目を閉じる。
——そして、その日も夢の中。
柔らかな風が吹き抜ける草原。光がきらめく空の下、ふと足元に気配を感じた。
「……にゃあ」
振り返ると、白と灰色が混じった長毛の猫がいた。ふわふわの毛並み、しっぽをくるりと巻いて座っている。
「……あなた、どこから来たの?」
猫は何も言わずに、じっと真理を見つめていた。
目が覚めたとき、午後二時半。いつもの時間だったが、胸の奥に残るあたたかな感触が、不思議と現実感を持っていた。
「夢に猫が……」
それから毎日、真理は昼寝をするたびに、その猫と会うようになった。
名前はわからない。ただ、夢の中の彼は、決まって彼女の隣に座り、何も言わずに見守るだけ。
ときに海辺、ときに図書館、ときに子どものころ住んでいた家の縁側。夢の舞台は毎回異なるのに、猫はいつもそこにいた。
「なんで毎回、あなただけは変わらないの?」
問いかけても、猫は相変わらず黙っている。ただ、真理が沈んでいるときは、ぴたりと体を寄せてくれる。何も言わず、ただそばにいてくれるだけで、心がほどけるようだった。
ある日、午前中の会議で、上司のきつい言葉に傷ついた真理は、ふらふらのまま昼寝タイムに入った。
夢の中で彼女は涙をこぼした。
「なんで……がんばってるのに」
猫はそっと前足で、彼女の手に触れた。やわらかな肉球の感触が、心に沁みた。
「ありがとう」
そう呟いた瞬間、猫は初めて、目を細めて微笑んだように見えた。
それが最後の昼寝だった。
翌週から勤務体制が変わり、午後の自由時間はなくなった。忙しい日々に追われ、昼寝をする余裕も、夢を見ることも減っていった。
けれど、ある雨の午後、久しぶりに空いた時間でソファに横になると、真理の頬にふわりとした感触が触れた。
「にゃあ」
猫がいた。雨音の中、ぬくもりとともに、彼はそこにいた。
夢か、幻か。それでも真理は微笑んだ。
「お昼寝タイム、はじまりました」
目を閉じると、どこからか小さなゴロゴロという音が聞こえた。
それは、疲れた心にそっと寄り添う、午後の癒しの調べだった。