「うっわ、くっさ……」
思わず口を押さえた。
真央が立っていたのは、駅の裏手にある細い川。コンクリートで囲まれた川底には、ヘドロのような泥と、浮かぶペットボトルや空き缶。かつて“川”と呼ばれていたその場所は、今や「ドブ川」と蔑まれ、誰にも見向きもされなくなっていた。
中学生になって初めての地域ボランティア。教師に言われるまま、半ば強制的に参加した清掃活動の現場が、ここだった。
「こんなの、なんの意味があるの……」
呟きながらゴミ袋を持って歩く真央の横で、黙々と作業を続ける初老の男性がいた。
「昔はね、この川でザリガニ釣ってたんだよ」
ふと、その人が話しかけてきた。丸めた背中に、日焼けした肌。年齢は六十代くらいだろうか。
「え? こんなとこで?」
「こんなとこ、じゃないよ。ちゃんと水も透き通ってて、夏は子どもらで賑やかだった。魚もいたし、メダカもいた。今は見る影もないけどな」
真央は思わず川を見下ろした。
濁った水面に、かすかに動く黒い影がある。よく見ると、それは生き物だった。小さなカニ。こんな場所にも、まだ命は残っているのだと気づいた瞬間、胸の奥でなにかが動いた。
それから数時間、真央は無言でゴミを拾い続けた。
汗でシャツが肌に張り付き、泥で靴が重たくなる。それでも、さっきまで感じていた嫌悪感が、少しずつ薄れていく。
作業が終わるころ、先ほどの男性がペットボトルの水で手を洗いながら言った。
「川ってのは、町の記憶なんだよ。人が流して、人が捨てて、人が忘れていった。だけど、流れは止まらない。誰かが見てくれてたら、また変わるかもしれない」
その言葉は、不思議と心に残った。
翌週、真央は自主的に清掃活動に参加した。
驚く仲間の視線をよそに、彼女は胸を張った。「なんとなく、また来たくなったんだ」と。
少しずつ、川の姿が変わっていくのが見えた。泥の中から姿を現すコンクリートの模様、折れた標識の根元、古いボールやサンダル——それらはかつての“誰か”の痕跡であり、この場所に命があった証だった。
ある日、真央は川沿いで一枚の古い写真を見つけた。ボランティアの一人が持ってきたものだった。
「これ、昭和四十年代の川の写真。子どもたちが水遊びしてるの、見てみ」
そこに写っていたのは、今と同じ場所とは思えない、きらきらした水面と笑顔だった。
真央はその写真を見ながら、小さくつぶやいた。
「ここにも、ちゃんと時間が流れてたんだ……」
やがて季節は秋になり、川沿いに咲いたセイタカアワダチソウが風に揺れた。
相変わらず川の匂いは消えないし、ゴミも完全には減らない。でも、真央はもう“汚い”とは思わなかった。
あのドブ川は、たしかに今も生きている。
ある日、学校の作文で「地域の風景について」書く課題が出た。
真央は迷わず、こう書いた。
——あの川は、町のブルースだ。
——かつての輝きも、今の痛みも、全部抱えて流れ続けている。
——私はそれを、“きれい”にするためじゃなく、“忘れない”ために歩いている。
風が吹いた午後、真央は川のほとりで空を見上げた。
どこからか流れてきたブルースのように、あの川の音が、静かに心に響いていた。

